吉田響(創価大)はなぜ創価大へ編入した?出身中学・高校についても調査!

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創価大学吉田響選手の活躍が活躍が目覚ましいです!

創価大学の勢いも高まってきました!

今回は、なぜ吉田響選手が大学3年の時に

東海大学より創価大学に編入したのか?

吉田響選手の出身中学・高校についても調査しました。

 

 
 
 
 
 
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吉田響はなぜ創価大へ編入した?

吉田響選手は大学3年生のときに

東海大学から創価大学へ編入しました。

東海大学ではチームと吉田響選手の間で競技への考え方に相違が出て、話し合いを重ねていました。

ある時期より体と精神が不安定になり、当たり前にできていたこともできない状態になってしまいました。

その時はどこかで走ろうという選択肢も無く、陸上をやめるつもりでいたそうです。

ずっと掲げていた、箱根駅伝5区で

山の神になるとの目標を諦めかけていた頃、

創価大学の当時の瀬上雄然総監督に、もう一度がんばってみないかと声を掛けられたことにより、

悟を持って決断したとのことです。

瀬上総監督は吉田響選手と同じ静岡県御殿場市出身で気にかけてくれていた縁があったようです。

東海大学を退学し、創価大学3年の編入試験に合格しました。創価大学の選手として再スタートすることになりました。

 

 

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吉田響創価大学での活躍

吉田響選手が創価大学に入ったことにより、チームに大きな影響を与え、

創価大学は強くなっています。

第36回出雲駅伝

4年生となり、吉田響選手は2区を走りました。

序盤から全力の走りで、9人を追い抜き、チーム順位を1位まで上げて

タスキを繋ぎました。

創価大学は4位となりました。

第56回全日本大学駅伝

吉田響選手は2区を希望しました。

1区が10位だったところを吉田響選手は2区で1位まで順位を上げましたが、

青山学院大学鶴川正也選手とのスパート勝負となり、同タイムで鶴川正也選手に先を越されてしまい2位となりました。

創価大学は4位となりました。

創価大学としては3位以上に入ることを目標にしてやってきたので、

過去最高の4位を更新することができました。

箱根駅伝では吉田響選手が5区の山の神になる目標が達成できるのか、

創価大学が3位以上に入ることができるのかに大きな期待がかかっています。

 

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吉田響の出身中学は?

吉田響選手の出身中学は静岡県の御殿場市立原里中学校です。

中学生の頃から陸上を本格的に始めていました。

3年生の時に、ジュニアオリンピック陸上競技大会に出場しました。

3000mを8分40秒93のタイムで7位の成績を残しています。

この大会で東洋大学石田洸介選手が1位、青山学院大学鶴川正也選手が3位でした。

同じく3年生で天皇盃 第23回 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会では6区を走り、2位の記録を残しています。

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吉田響の出身高校は?

吉田響選手の出身高校は静岡県の

東海大付属静岡翔洋高等学校です。

中学校・高等学校・大学の中高大一貫教育を行っいて、半数以上の生徒が

東海大学へ進学しています。

吉田響選手は中学生の頃から陸上競技部で活躍していました。

高校2年生の時に静岡県市長対抗駅伝競技大会に御殿場市の選手として出場しました。

5区を走った吉田響選手は先頭との33秒の差を逆転し、2位とも28秒の差をつけてタスキをつなぎました。

当時、テレビ解説でも圧巻の走りが伝えられました!

 

 

東海大静岡翔洋高校時代の恩師、

秋岡達郎監督は

「結果を出すしかないと追い込まれた時の(吉田)響は強い。」

と仰っている程、高校時代から陸上に

真摯に向き合ってきました

 

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吉田響の家族は?

吉田響選手には兄弟がいる情報は見つかりませんでした。

父親と母親との3人家族だと思われます。

父親と母親の職業の情報もありませんでした。

吉田響選手は父親が作るバジルパスタが大好きとのことです。

父親が手作りのバジルペーストを寮に届けてくれたそうです。

そのバジルペーストで作ったパスタを

自分へのご褒美にしているそうです!

 

吉田響のプロフィール

  • 吉田響 よしだひびき
  • 生年月日 2002年8月20日(22歳)
  • 出身地 静岡県御殿場市
  • 身長 161cm 
  • 体重 46kg
  • 大学 創価大学経済学部

 

 

 

まとめ

吉田響選手は東海大学から創価大学へ編入したのは、

チームとの吉田響選手の考え方の相違から

思うように力を発揮することができず、体と精神が不安定になってしまったことが

原因でした。

創価大学の前監督に声をかけられ創価大学で再び山の神を目指しています。

創価大学のチームのメンバーとも練習を通じて打ち解け合っていき、

チームに良い刺激を与えチームの意識も高まって、結果を出しています!

吉田響選手は最後は大学にもチームメートにも恩返しをしたいと語っています。

吉田響選手をはじめ創価大学の活躍に注目していきましょう!

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きなこ

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